時代劇とか大河とか

昨日の記事を書いた後から、脳内が玉木義朝でいっぱい。どんだけ楽しみにしてるんだって話ですね。だってさー、久々のまっとうな大河になりそうな作品に、めちゃくちゃ似合いの役で出るんだもの。時代劇の玉木宏、大好きなんだもん。
不器用ですから、と本人はよく言ってますが、どうしてどうして、実は玉木くんは“時代劇勘”ってものをしっかり持ち合わせているんだと思う。でなければ、一度『SABU』のちょい役をしただけなのに、『功名ヶ辻』でいきなりあんな風に場に溶け込んだ演技をしたりできない。でもって、次にいきなり『敵は本能寺にあり』での織田信長役を、あれほど見事に演じきったりできない。そりゃぁ殺陣・乗馬はちょっと時間が足りなかったようだったけども、所作・台詞回し・様式美・けれん味・ため、などの時代劇特有の演技は全てつかんでいましたよね。おまけに、歴史上の有名人物であり、頂点に立つ者独特のカリスマ性やオーラまで表現できてしまった。康豊〜信長あたりまでは、玉木くんの時代劇がどれだけのものか、まだまだ未知の領域ゆえに心配だったんですが、「心配してすまんかった!」とあやまりたいくらい、特に信長は素晴らしかった。見た後、びっくりして虚脱状態になったもんな…。
そして何より所作の切れ味。『篤姫』の39話で見せてくれた、客人に備えて、スチャッと刀を構える一連の流れるような動作が忘れられない。ああいった切れ味鋭い所作ができるセンスの良さは玉木くんすごいと思うの。寺田屋襲撃も暗殺シーンも、迫力満点だった。あれだけの出番なのに存在感とインパクトをしっかり残した。
信長で見せたカリスマ性と威厳、龍馬の切れ味。更にいえば真島の渋みと貫禄。こういったものをいっぺんに見れるであろう義朝に期待するなって方が無理〜。
周りの歴々のキャスト陣とのやりとりも実に自然で、時代劇歴の浅さを感じさせないあの空気感は、お見事としか言いようがない。彼が演技する上で大事にしているという“調和”とは、こういうことをいうんだなと、今になって思う。それはまた、キャストやスタッフに対する謙虚な姿勢の表れでもあるのかも、と。また、歴史上の人物を演じるにあたって、先人への敬意。そういう姿勢が長じて、“品格”にもつながっていくのではないかな。玉木くんがいつも言っていますが、「作品は一人では作れない」という意味をしっかり理解しているからこそ、彼の演技からは大人の品性がにじみ出ているのではないかと思ったりします。
今年の大河を見ていると、そういう“調和”〜“品格”が、ないがしろにされている気がするのでね…残念です。最後まで見届けるつもりではいますが、正直、見るのが辛いです。今からでも遅くない、軌道修正してほしいものです。結局、時代劇とは“伝統”だと思う。伝統への敬意が感じられるかどうか、視聴者はちゃんと判るんですから。
「時代劇には、所作を始めとする日本のいい伝統がたくさん詰まっています」との、玉木くんの言葉は伊達じゃない!