原作と映画

昨日のNHK歴史ヒストリア「藤原頼長」はいろんな意味で面白かったですね。昨日の記事にあげた元木泰雄氏の登場にはテンションあがりました。来年の大河で時代考証やってくれればいいのにな。
さて、「砂の器」原作読みました。私にとって初・松本清張です。ミステリとしてよりも、むしろ小説としての質の高さに驚きました。特に下巻に入ってからの息をもつかせぬ展開にはページをめくる手が止まりませんでした。イモヅル式に縦糸横糸がつながっていき、ラストに向けて一気に収束に向かうあたりはけっこうなカタルシス。実に面白かったです。
そして、必要以上の先入観は持ちたくなかったのだけど、読んでしまうとやはり映画版がどうしても観たくなってしまう。ってことでレンタルしてきました。「原作を超えた映画」と言われていますが、本当にその通りですね。原作には原作の良さがあり、淡々とした味わいがあって良かったけど、欠点も多々あった。ミスリードにしては人物描写のバランス配分がおかしいとか、手がかり発見が偶然に頼りすぎてるとか、殺人の方法そのものに疑問とかいろいろ感じたけれど、その辺を映画版は上手にカットしつつも新解釈を加えて補い、シンプルでありながら絞りに絞ったテーマを前面に押し出し、これでもかと壮大な抒情詩に仕上げてあった。ここまで感傷的なクライマックスだとは想像外でしたが、親子巡礼とその別れのシーンは圧巻でした。「宿命」を演奏する和賀からは、「人間の業」の深さというものがひしひしと伝わってきて、なんつーか、この映画の凄みを感じました。
映画では昭和46年の設定だが、今度のドラマは原作に忠実な35年設定。ヌーボーグループも登場する。ドラマの方が原作寄りなのだろうか。どのみちハンセン病は多分今回も使えない時点で、原作とはかけ離れるんでしょうけど。だが、今西が居るにも関わらず吉村視点というのは、一体どういう脚本になるのか、ますます分からなくなりました。和賀と吉村の対峙に焦点を当ててくるのかな。今西刑事は原作も映画もどちらも魅力的だった。逆に和賀は原作でも映画でも少々存在感が薄く感じた。第三者から見た和賀像が多く、一人称での心情吐露が無いからかもしれない。森田健作の吉村は明るくまじめな熱血漢で良かった。この3人のバランスを、ドラマではどう描いてくるか興味があります。
それにしても、いやはや、玉木君、すごい作品の主役を演じるんですね。改めておののいています。

砂の器(上) (新潮文庫)

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砂の器(下) (新潮文庫)

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砂の器 デジタルリマスター版 [DVD]

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